脱炭素は成長もたらすビジネスチャンス
日本金融経済研究所代表理事、経済アナリスト 馬渕 磨理子さん
まぶち・まりこ 滋賀県生まれ。同志社大学法学部卒、京都大学大学院修士課程修了。トレーダーとして法人の資産運用を担う。その後、金融メディアのアナリストを経て日本金融経済研究所を設立、日本の企業価値向上について大学と共同研究し、政策提言を行う。フジテレビ、読売テレビの報道番組に出演中。著書に、『黒字転換2倍株で勝つ投資術』(ダイヤモンド社)、『収入10倍アップ高速勉強法』(PHP研究所)など。
ESG投資の考え方も変化
――環境と社会に配慮しながらガバナンス(企業統治)のとれた透明性の高い経営を実践する企業に投資するESG投資が、エネルギー分野を中心に注目されています。
「国連が2006年に、機関投資家に対し投資の意思決定プロセスや株主行動においてESG課題(環境、社会、企業統治)を考慮することを求めたPRI(責任投資原則)を策定し、世界の金融業界に向けて提唱したのをきっかけにESG投資が広がりました。その後の08年に起きたリーマン・ショックでは、ガバナンスを見極められなかった反省が金融界に生まれたことから、欧米を中心にESG投資が加速し、21年までは大幅に拡大してきました。今は揺り戻しもあって、少し落ち着いている状態です」
――足踏みはコロナの影響ですか。
「コロナ禍でも一段と拡大した時期はありました。しかし、脱炭素で世界をリードし一気に脱炭素社会の実現を目指していた欧州連合(EU)の考え方が、ウクライナ戦争を機に少し変わりました。化石燃料のロシア依存度が高かった欧州では、脱ロシアへエネルギー政策を大きく転換した中で、企業側から一足飛びでの脱炭素化を疑問視する声が強まり、金融界も含めて今一度実現可能な脱炭素への対応を模索する議論になっています」
――そうした変化を馬渕さんは、「北風と太陽」に例えていますね。
「その『北風と太陽』の話のとき、トランジション(移行)ファイナンスの概念図を使って説明しています。これまでは内燃機関や石炭火力発電などブラウンエコノミ―(BE)といわれる経済圏に属する企業に対し、いきなり脱炭素への転換を求めていました。しかし、石炭採掘にしても、地域経済や雇用などへの影響を考えれば今すぐには止められません。そうしたBE経済圏の企業が脱炭素に移行していく期間に対しても金融界は投資していくべきだという考え方を示したものです。従来の石炭火力は座礁資産になるから投資撤退と厳しい圧力をかけていた『北風』から、今はBEに移行期間を認め、金融界も社会の一員として共に考え、歩んで行きましょうという『太陽』のように変わってきたわけです」
――日本の主張と合致しますが、欧米での支持はどの程度ですか。
「欧米の金融界では、トランジションファイナンスの必要性を認めるところと依然として一切認めないところに二極化されています。ただ、最近の米ウォール・ストリート・ジャーナルによると、ウォール街の投資家では双方が半々で拮抗しているようです。ウクライナ戦争による世界的なエネルギー危機で、欧州を中心にものの考え方が変わり、実現不可能なことを議論し続けても意味がないという風潮が強まっています。これまでのように石炭火力には一切投資しないといったようなヒステリックな姿勢は影を潜めつつあると思います」
デジタル社会は「電力勝負」に
――23年12月に閉幕したCOP28(第28回国連気候変動枠組み条約締約国会議)の合意文書に、脱炭素技術として原子力が明記されました。ESG投資での原子力の位置づけは変わるのでしょうか。
「EUは23年春に脱炭素に貢献する技術として原子力投資を認めました。ウクライナ戦争を機にエネルギー政策を脱ロシアに転換した中で、全加盟国が再生可能エネルギーですべてをまかなうのは難しいとして、フランス主導で原子力利用の拡大に舵を切ったわけです。最近は22年11月に発表されたChatGPT(チャットGPT)に代表される生成AI(人工知能)ブームが原子力を後押ししています。生成AIは大量の電力を必要とするため、国単位の開発競争となれば、それはもう電力勝負といっても過言ではありません。世界中で安価で大量にカーボンフリー電力を安定的に確保することが大きな問題となっており、そうした中で原子力の存在意義が高まっているということです。また、ロシアの侵攻を機にエネルギーでの自立が各国の重要課題に浮上し、世論が変わった印象もあります。エネルギーを自国でまかなう流れの中に原子力があるということだと思います」
――日本の投資家は原子力をどう見ているのでしょうか。
「原子力発電所を再稼働しているのは、西日本の関西電力と九州電力、四国電力ですが、とくに関電株は原発再稼働を材料としてどんどん買われているのが現実です。物価高に苦しんでいる中で関電利用者は電気料金が安くてありがたいとの話もあり、投資家は感情論だけでなく、未来を予測したうえで合理的に判断します。日本経済の未来を考えれば、しっかり点検され、安全性が確認された原発は再稼働させていくことが必要だと思いますし、そう考えている投資家は増えています」
――日本が脱炭素社会を目指すGX(グリーントランスフォーメーション)実行計画には、10年間で20兆円のGX経済移行債発行と150兆円の民間投資呼び込みによるGX投資が盛り込まれています。どう評価していますか。
「打ち出している投資規模はそこそこの大きさですが、いかに実行していくのかが問題です。今の世界市場での戦い方は明確で注力すべき分野は決まっています。エネルギー、半導体、防衛関連で、そこは国が資金を投じて旗振り役を務めなくてはいけません。中国的な産業支援政策に躊躇(ちゅうちょ)していた米国は今、中国に対抗して強力に動いています。22年夏の米インフレ抑制法成立以降、巨額の政府資金を投じて気候変動対策と安全保障分野の産業支援に乗り出しました。しかも材料の重要金属を含めてすべてを自国で生産する囲い込み戦略です。最近の米エコノミストの考え方も、従来は批判的だった積極財政を支持する方向に転換しています。そうなると、日本も半導体では工場誘致による産業支援が形になりつつあるように、エネルギーなど他の注力分野でも財源をねん出して強力な産業支援に乗り出す必要があります。また、民間投資を呼び込むには、建設してしまえば利益を生み出すことが見込める再エネ分野が最適です。利益が出る施設になった段階でマーケットに出し機関投資家の年金基金が運用すれば、年金不安解消の一助にもなり広く国民に還元できます。ふわっとした150兆円の話を出すだけでなく、国民生活の未来にプラスになるような切り口が欠けていると思います」
――日本は再エネと原子力、アンモニアのカーボンフリー火力を組み合わせて、50年の脱炭素化を目指しています。
「アンモニア火力はまず石炭との混焼から始め、50年までに100%アンモニアを燃やす火力発電に移行していくことを目指しており、まさにトランジションの技術です。金融界も高く評価しています。このエネルギーミックスには期待を持てますが、日本社会全体の脱炭素化についてはもう少し割り切ってポジティブに取り組むべきです。欧米では表向きには気候変動対策の理念を掲げる一方で、脱炭素をビジネスチャンスと捉えています。実際、脱炭素化によって電気自動車でも、製造設備でも買い替え需要が生まれます。日本では理念とビジネスが混在していますが、欧米のように脱炭素ビジネスを行き詰った資本主義社会がもう一段飛躍するための材料とするくらいのドライさが必要です。日本も気候変動対策の理念の実現と同時に、ビジネスとしての成功を狙うという、欧米流の強い考えを持ち、割り切って成長へのチャンスをつかみに行くことが大事になると思います」