「海外赴任の苦悩と喜び」
オーエスジー代表取締役会長兼最高経営責任者(CEO)石川 則男 氏
出稼ぎ地球会社の一兵卒
2016(平成28)年9月に亡くなった大沢輝秀元オーエスジー(以下OSG)会長が考え、標榜されたのは、「出稼ぎ地球会社」だ。地球会社や国際企業、グローバル企業などと言えば、クールな感じがするが、世界各国の得意先を開拓し現地で愚直にものづくりを行うOSGらしさを、体現しているとは思えない。ことしは私がOSGに入社して44年。海外事業の拡大に取り組んだ経験を振り返ると、出稼ぎ地球会社というネーミングに心躍る。出稼ぎ地球会社の一兵卒の経験を執筆することで、海外で飛躍したいという夢を持つ社員や若者に少しでもお役に立てれば、本望だ。
1980年代ごろから、当時のトップや先輩たちの間で「海外展開で成功しなければ、OSGの将来はない」ということが、共通認識になっていた。主力製品のタップをはじめ切削工具の得意先である大手・中堅の製造業が軒並み海外展開を加速し、自動車や電機メーカーの国内生産が頭打ちになる、という危機感があったからだ。
OSGの海外事業を加速する一兵卒として、私を含め数多くの社員が地元の豊川市をはじめ東三河を離れ、海を渡った。海外に赴任したまま、現地で定年を迎えた方々も少なくない。
私の海外赴任は27歳から50歳まで23年に上る。米国、カナダ、再び米国、その後は英国、ベルギーと4カ国5カ所に赴任した。この間出張を除けば、一度も日本に在籍したことはなかった。
カナダでは現地法人の立ち上げから携わり、日本人社員は私1人。見知らぬ地で得意先を開拓する出稼ぎ地球会社の一兵卒の苦悩と喜びを味わった。
入社5年目に結婚。新婚生活は米国でスタートした。帰国したときには、2人の子どもは大学生と高校生になっていた。
入社当時のOSGの売上高は95億円で、海外売上高比率は30%台。2024年11月期の売上高は1261億円で海外売上高比率は62%に上っている。海外への”出稼ぎ”で成長してきた物語を紹介する。
〈プロフィル〉
石川 則男(いしかわ のりお)1978(昭和53)年金沢大学工学部を卒業し、同年オーエスジーに入社。2001年取締役、07年社長兼最高執行責任者(COO)に就任。17年に社長兼最高経営責任者(CEO)、21年2月に会長兼CEO。66歳。碧南市出身。